弊社で発行代行を承っているメルマガ「秋元通信」最新号の記事をご紹介します。
メインテーマは、「障がい者とともに働くということ」。
私自身の経験も踏まえつつ、障がい者雇用の今をレポートしています。
「障がい者とともに働くということ」(秋元通信)
障害者雇用促進法が改正され、企業には障がい者の雇用義務があります。
とは言え、実際に障がい者を雇用するのは大変です。
大変な理由はいくつもありますが、既存の社員(≒健常者)が、障がい者とどのように一緒に働くのか?、一緒に働く環境をどのように作り上げるのか、という点も理由のひとつであり、とても悩ましい課題です。
今回の秋元通信では、障がい者雇用を経済活動として正面から取り組んでいるアイエスエフネットハーモニー社の見学会を紹介しつつ、障がい者と働くことの実際を、私なりにレポートしてみました。
「健常者だろうが障がい者だろうが、同じように接しなさい。気後れする必要はないし、それはむしろ相手に失礼だ」
記事中で紹介した、私の元上司の言葉、私の実体験です。
障がいを持つ制作スタッフに対し、指示を躊躇する私に上司が言った言葉なのですが、実はこの言葉には続きがあります。
「障がい者の中には、障がいがあるがゆえに甘やかされ育ってきている人もいる。そういう人間を、お前がさらに甘やかしてどうする!?
言うべきことはきちんと言いなさい。
大切なのは、社内の障がい者ではなく、お客様であり、きちんとした品質の成果物をつくり上げることだ」
私自身、プライベートで知り合った軽度のダウン症の女性にストーカー行為を受け、難儀したことがありますが...
健常者の中には、障がい者=いい人と信じたがる人もいます。
それは間違いだし、むしろ障がい者の個性を十把一からげにしてしまう、危険な認識であると、私は考えます。
例えば、ひとりっ子がわがままになるという考え方があります。
例えば、末っ子は甘えん坊になるという考え方があります。
障がい者に対しても、同じことですよ。
井上雄彦先生の「リアル」というマンガがあります。
障がい者バスケにかける青年、そしてバスケのプロ選手を目指す健常者の青年、主人公ふたりの葛藤しあう生き方を描く名作ですが、同作でこんなシーンがあります。
練習をする主人公ふたりに、健常者のプレイヤーがストリートバスケの試合を申し込む。
健常者のふたりは、車いすの主人公を舐めてかかるが、車いすの主人公の能力は高く、まるで歯がたたない。
苛立つ健常者プレイヤーは、「車いすなんかに乗っているから、危なくて近寄れないんだよ。お前は卑怯だ」となじる。
その言葉に、もうひとりの主人公である健常者は、言い放つ。
「車いすは、こいつの個性だ!」
記憶を頼りに書いていますので、正確ではありませんが、だいたいこんな感じだったかと。
障がい者にも、いろいろな人がいます。
極論すれば、友だちになれる人もいるし、友達になれない人もいる。
性格上、一緒に働ける人もいるし、一緒に働けない人もいる。
そのことを認めないと、結局は障がい者と一緒に働くということは実現できないんじゃないかと、私は考えています。
障がい者=いい人と括ってしまうことは、障がい者=一緒に働けない人と括ることと、同じことです。
健常者だろうが、障がい者だろうが、人の個性を認めないところに社会は成立しないのではないでしょうか。