四谷怪談のお岩さんを祀ったふたつの「於岩稲荷」(おいわいなり)の話【閑話】

「東海道四谷怪談」の主人公であるお岩さんを祀った神社が四谷にあると聞き、現地に行ってみました。

実際に現地に行ってみると、そこには道路を挟んでふたつの「於岩稲荷」(おいわいなり)が!?

 

当初は、毎朝Facebookで行っている「おはよう投稿」のネタ採取のために訪問したつもりだったのですが。

ネタ盛りだくさんのうえ、おもしろかったので本Blogにアップしちゃいます。

 

いつも物流ネタ、ITネタばかりのマジメな(...笑)Blogですが、息抜きテーマにお付き合いくださいませ

m(_"_)m

 

現在の東京都新宿区左門町、東京メトロ丸ノ内線:四谷三丁目駅から徒歩10分ほど、四谷警察署が建つ外苑東通りから一本入った路地に、ふたつの「於岩稲荷」があります。


画像右手(手前)にあるのが「於岩稲荷田宮神社」。

左手(奥)にあるのが「於岩稲荷陽運寺」。


どちらも東海道四谷怪談のお岩さんを祀っている、と案内にあります。

住宅街の中にひっそりと佇む、小さな神社とお寺です。

お岩さんと東海道四谷怪談のストーリー、ざっくりと復習してみましょう。

 

民谷又左衛門の一人娘:お岩さんと婿養子として結婚した旦那(伊右エ門/浪人)は、実はとんでもないモラハラ&浮気男だった。

伊右エ門の悪行はエスカレートし、ついに浮気のじゃまになるって言うんで、奥さんであるお岩さんを毒殺してしまう。

毒殺されたお岩さんは、顔面半分が醜く腫れ上がった姿で、幽霊として再登場。

伊右エ門を呪って呪って復讐を果たす。

 

※注記

四谷怪談に登場するのは、「民谷」家だが、実際のお岩さんは「田宮」家の娘。

また、実在の婿養子は、「伊右衛門」であり「伊右エ門」ではない。


ちなみに、お皿を数えるのは「番町皿屋敷」です。

昔、ドリフのコントなんかで、志村けんが顔面に瘤を作って「いちま~い、にま~い...、一枚たりな~~い」とやったもんで、混同している方もいるようですが f^^;)

 

悪霊と化してしまったお岩さん。

このふたつのお稲荷様は、悪霊となってしまったお岩さんをなだめるために建立されたものなのでしょうか??

これは、「於岩稲荷田宮神社」に立てられた案内。

 

「田宮稲荷神社は、於岩稲荷と呼ばれ四谷左門町の御先手組同心田宮家の邸内にあった社です。

初代田宮又左衛門の娘お岩(寛永13年没)が信仰し、養子伊右衛門とともに家勢を再興したことから「お岩さんの稲荷」として次第に人々の信仰を集めたようです。

鶴屋南北の戯曲「東海道四谷怪談」が文政8年(1825年)に初演されるとさらに多くの信仰を集めるようになります。

戯曲は実在の人物からは200年後の作品で、お岩夫婦も怪談話とは大きく異なり円満でした。(後略)」

 

 

なんか、ぜんぜん違いますね!?

お岩さんと、田宮家に婿養子で入った伊右衛門は、仲睦まじい夫婦だった、というのが実際のところ。

伊右衛門も頑張り、そしてお岩さんも賢妻として家を支え、傾きかけていた田宮家を再興した、というのが本当の話のようです。

 

当時の江戸社会において、お岩さんは良妻賢母の鏡であり、伊右衛門との夫婦仲は、おしどり夫婦として世に広く知られていて、お岩さんの没後も、田宮家の敷地内にあったお稲荷様が、人々の信仰を集めていたようです。

 

商売繁盛、もしくは夫婦円満の神様として、人々の人気を集め、現在も「於岩稲荷田宮神社」として今に至っている、というのが本当のところみたいですね。

 

なお、現在の「於岩稲荷田宮神社」は、お岩さんの子孫が神主として神社を守っていらっしゃるそうです。

 

現在の「於岩稲荷田宮神社」の様子をお伝えしましょう。

 

小さいながらも、清潔に整えられた境内。

百度石があるのは、信仰を集めた証なんでしょう。

なんとも趣のある神社です。

 

※下記画像は、クリックすると拡大します。

そして、こちらが道路を挟んで反対側にある、やはりお岩さんを祀った「於岩稲荷陽運寺」。

「於岩稲荷田宮神社」に比べると、ずいぶんと派手な感じがします。

 

結論から言ってしまえば...

こちらは、「於岩稲荷田宮神社」の人気にあやかり建立、さらに「東海道四谷怪談」の大ヒットを受け、興盛したお寺のようですね。

 

どうやらどうやら、いろいろと調べてみると、そういうことみたいですσ(^^)

 

今は縁結びの神様として人気を集めているとのこと。

「なんだよ!、便乗商法かよ!」と思ったあなた (笑

 

ちょっと補足をさせてください。


昔の、特に江戸時代の寺社仏閣というのは、今よりもずっとアミューズメントな側面が強くありました。

例えてみれば、東京スカイツリーや六本木ヒルズに遊びに行くような感覚で、当時の江戸の人々は名のあるお寺やら神社やらに出向いていました。寺社の前には、美味しいものを食べさせる店、名物を売る店などが並んでいました。今もそうですよね。

今と比べれば、圧倒的に娯楽の少ない江戸時代において、このような寺社仏閣は、格好のお出かけスポット。

 

そりゃ、便乗商法も生まれますって...(笑

 

言ってみれば、ドラマや映画の撮影地に、現代の僕たちが足を運ぶような、当時の江戸の人々にとってはそんな感覚だったのでしょう。

さて、現在の「於岩稲荷陽運寺」。


こちらも境内はさほど広くありませんが、素敵なお寺です。


訪れたのは、東京に桜の開花宣言があって間もない頃。


手水舎には、こんな風流なはからいがありました。

境内にあった案内。

 

「(前略)

境内にある泰山木の下にお岩様縁の祠があったと伝えられ陽運寺の起源とされています。

薬師堂の棟札には宝暦7年と記されており250年以上の歴史のある建物です。(後略)」

 

お岩さんが他界されたのが、1636年。

於岩稲荷陽運寺の薬師堂が建立されたのが、1757年。

そして、「東海道四谷怪談」が発表されたのが、1825年となります。

 

ちなみに、境内にある井戸は、昭和に掘られたというネット情報がありました σ(^^)

取り繕うわけではありませんが...

 

このお寺、とても気持ちの良いお寺です。

小さいながらも完成された境内。

 

また、さまざまな催しも行われているようです。

 

正直、なぜこのお寺があまり知られていないのか不思議なくらい。

 

実際のお岩さんと、東海道四谷怪談の違い。

そして、お岩さんを祀る、ふたつの寺社。

 

人間の活動というのは、いつの世も変わらないものですね。

そのいきさつには、人らしい振る舞いがあって、強く興味をそそられます。

 

今回お届けした、「於岩稲荷田宮神社」と「於岩稲荷陽運寺」は、以下の場所にあります。

 

機会がありましたら、ぜひ立ち寄ってみてください。

 


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