ドライバー不足問題と「社員(=ドライバー)の価値」

アベノミクス効果か、それとも東京オリンピック効果か?

理由はともかく、景気は上向いているように感じられます。実際、運送業界においては、需要(運送案件)に対し供給(運送会社のキャパシティ)が不足してきています。

 

運送会社にとっては、仕事を選び、また売上を増やす好機なのですが、この追い風に乗れない、もしくは乗りきれない運送会社も少なからずいるように見えます。

最大の理由は、人不足(ドライバー不足)。

せっかく仕事はあるのに、トラックを動かすドライバーがいないため、新たな仕事を取れない。中には、トラックは余らせているのに、ドライバー不足でクルマを眠らせてしまっている会社もあります。

 

トラックドライバーの人材不足は、近年特にクローズアップされてきた問題ですが、業界として、この問題に本格的な対策を講じてこなかったツケが、この好機におけるビジネスチャンスの機会損失という、大きなしっぺ返しとなりつつあります。

 

今回は、ドライバー不足問題について、「社員(=ドライバー)の価値」という点から考えてみたいと思います。

 

 

「DIAMOND online/山崎元のマルチスコープ」において、『ブラック企業の「経済合理性」を検討する』という記事があります。

※リンク先 http://diamond.jp/articles/-/43994

 

記事中、以下記述があります。

『ブラック企業もホワイト企業も、共に経済合理的に経営しているのだとすると、両者の最大の違いは、ブラック企業は社員が辞めても惜しくないと思っているし、ホワイト企業は社員に辞められることを損失だと思っていることだろう。(中略)

 

1つの要因は、社員教育の効果の有無だ。研修であれ、仕事の実地経験(いわゆる「OJT」)であれ、社員に教育機会を与えて、その教育によって社員のスキルが向上するなら、教育投資を行った社員が辞めることは惜しいはずであり、これがホワイト企業の事情だろう。

 

 他方、ブラック企業では、会社から見て大半の社員は雇われた段階から大きな進歩なしにできる仕事をしていて、ただ大量の労働を安価に提供してくれればいい。そして、働いていても進歩するわけではないので、辞めたら次の社員を補充すればいい。企業側から見ると、「使い捨て」に合理性があるのだ。』

 

 

ここで書かれている「ブラック企業」、まさに多くの運送会社における「トラックドライバー」と同義ではありませんか?

トラックドライバーに辞められて困るのは、それまで行った社員教育(≒投資)が無駄になるためではなく、売上(≒トラックの稼働台数≒ドライバー数)が減るからではありませんか?

手前が代表のブラッキー中島さん。最後方が筆者。
手前が代表のブラッキー中島さん。最後方が筆者。

 

 

話は変わりますが。

先週末、子供向けの自転車教室のお手伝いをする機会に恵まれました。

場所は、幕張メッセで行われたサイクルモードの「ウィラースクール」。運営スタッフが足りないということで、当日の朝ご連絡をいただき、分からないながらに初めてお手伝いさせていただいたのですが、これがまあ実に有意義な体験でした。

 

見る見る間に上達していく子どもたち。

嬉しそうに、楽しそうに自転車に乗る子どもたちを見ていると、(うまく説明できないのですが)原初的な爽快感と満足感を感じる自分がいました。

 

このウィラースクールはボランティアによって運営されており、そのカリキュラムはWebサイト上で公開されています。

 

「第一章:自転車を使った教育の意義」>「なぜ、子どもたちに自転車を教えるのか?」には、以下のように記載されています。

 

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例えば子どもたちに交通ルールやマナーを教える機会があるとする。

もし教える立場にある人が前提として自転車のことをあまり良く思っていない場合、自転車に対して若干ネガティブなバイアスがかかるかもしれない。

具体的には、交通ルールを教える場合、「(自転車は危ないから)こうやってはいけない」「(迷惑だから)ルールを守りなさい」という論調になる可能性がある。

つまり「あれはダメ」「これはダメ」という、やってはいけないことの現象と対処法のみを教える進め方になってしまい、受講する子どもたちがそのルールやマナーの奥に込められた本当の意味を感じられないことにならないだろうか。

 

ひるがえって、今度は教える立場にある人が自転車のことをこよなく愛するサイクリストならどうだろう。

彼らは自転車が大好きである。大好きで大切な乗りものだから、まず自転車の立場を大切に考え、伝えようとする。その上で交通社会の中で自転車がどうあるべきか、ルールとはどういう意味があって、なぜ守らなければならないのか、そうした自分たちの権利を守るために自らが考え行動しなければならないことを、「自転車が好き」という感情をもって説明するのではないだろうか。

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出典 http://cyclingschool.jp/?p=34#pagetop

 

 

クサイというか、こっ恥ずかしい言い方になりますが。

「教育」というのは、そもそも愛情行為のひとつであると思います。

愛情のない人間が、教育を行ってもその効果は半減します。

だから、ウィラースクールでは、教育の対象である自転車を愛する人に、このウィラースクールという取り組みに参加して欲しいと考え、かつその理由を『「自転車が好き」という感情をもって説明するのではないだろうか』と説明しています。

 

いわんや、教育という愛情表現すらも行わなかったらどうなるか?

教育なしで出来る仕事、つまり『雇われた段階から大きな進歩なしにできる仕事』(※前述のDIAMOND online記事から)をさせていたら、社員(=ドライバー)は、『俺たち(私たち)は、使い捨てなんだなぁ』と思って当然ではないでしょうか。

 

先のDIAMOND online/山崎元氏の記事は、言葉(文章)にする/しないに関わらず、使い捨てにされる社員側は、本能的に感じる、もしくは感じていることではないかと思います。

 
運送会社とドライバーの不健全な関係
運送会社とドライバーの不健全な関係

 

 

今の運送業界は悪循環に陥っています。

 

  • 教育をしてもらえない、つまり自らが使い捨てであると感じるから、ドライバーも会社に対する愛情、愛社精神、良い意味での執着を感じることが難しく、たやすく転職してしまう。
  • ドライバーの離職率が高いから、運送会社も導入教育に力を入れない。
  • 導入教育をしないから、ドライバーに教育訓練を必要とする職務を要求しない。したがって、ドライバーという職業そのものが、特別なスキルを必要としない職務にデザインされていく。
  • 特別なスキルを必要としないから、ドライバーは、他運送会社で働くことも容易であり、転職への障壁が下がる。

 

そして、転職を繰り返し、愛想を尽かしたドライバーは次第に他業界に移ってしまう。

そんな業界だから、若年層の運送業界への転職希望者が減っていく。

 

 

余談ですが。

運送業界にいると、「うちのドライバーは馬鹿だからさぁ」という社長が、少なからずいます。

僕はこれまで、そんな経営者にはほとんどお会いしたことはありませんでした。

 

例えば、システム開発会社の社長が、「うちのSE、馬鹿だからさぁ」と言ったら、誰もそんな会社に仕事しませんよ。

当たり前ですよね?

お馬鹿なSEが作ったシステムなんて、誰も使いたくないからです。

 

ドライバー不足とか嘆いていますけど、業界全体として、ドライバーを含む社員に対する愛情が薄いことが、そもそもの原因であり、また運送業界の致命的欠陥だと考えています。

 

 

愚痴ばかりでは、本Blogもよくありませんね。

次回、ドライバー不足を解消する方策について、考えてみたいと思います。