1989年

某引越会社に入社。

口から先に生まれたような性格が災い(...?)し、ひと癖ふた癖あるような案件を優先的に任されるようになる。

時は、梱包&開梱付き引越パックが登場した頃。手先の器用さを発揮し、梱包マニュアルを作成する。


1996年

「もしかしたら、自分には営業の才能があるのかも!?」

 

勘違いし、とにかく厳しい営業を経験してみたく、株式会社光通信に入社。

テレマーケティング部門のPHS販売で、入社3ヶ月目で全国TOPになる。天狗になるも、お客様からのクレームで激しく動揺し、成績を落とす。

その後、流通販路向けの携帯電話販売部門に異動し、家電量販店、ディスカウントストア、GMSなどを担当。そうこうしているうちに、会社はITバブルの崩壊を経験。てんやわんやの騒ぎになる。

九州地域部長に就任するも、ITバブル崩壊後なので○&%**(長くなるので止めときます)。

 

その後、OA機器販売の代理店開拓や、副社長室で事業開拓などを行う。


2004年

株式会社インフォ・クリエイツに入社。

同社は、日本IBMのWeb部門から分離独立した会社なので、いわゆるITエリート的な仕事ができるのかと思いきや...

(詳しくは書きませんが)リストラやらなんやらでドタバタしていたところに入社したため、営業として入社したはずが、何故かPM、ディレクターも兼任する羽目に。

 

ただし、おかげでWebアプリ開発、Webサイト制作における制作サイドの経験と知識も身につけることができる。

ついでに、ライターとしての基礎能力を学ぶ。ライター予算が取れないお客様の記事を書き始めたのがきっかけだったが、IBMの社内報やらを発行する編集部が同社にはあり、生来の調子の良さを発揮し、頼み込んではライターさんたちに指導を受けていた。


2011年

株式会社聖亘トランスネットワークに入社。聖亘トランスネットワークは、運送会社であり配車システムを開発販売している会社。

インフォ・クリエイツ社が、さらなる業績不振でどんがらがっしゃんしたので退職、転職活動を行うも、東日本大震災の影響を受け、思うような転職活動ができなくなり、本音を言えば止むに止まれず物流業界に戻ることになった。

 

 

同社では、配車システムの販売とともに、配車コンサル、物流営業などを行い、約3200社の運送会社、倉庫会社と面談を行う。

 

「物流業界って、こんなに元気ないんだ...」

20年近く離れていた物流業界の衰退っぷりに大きなショックを受ける。


2013年

Pavism(パビズム)を起業する。

 

今まで知的好奇心をモチベーションに仕事をしてきた自分にとって、初めて「物流業界をもっと元気にしたい」と使命感を(勝手に)感じる。

災い転じて福となる。

結果的には、物流業界に再び戻ってきたことで、起業することとなった。